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『ひかりごけ』の時代
原稿を書いている今(2001年3月),テレビのニュースではミールの話題をくり返し報じている。老朽化した宇宙ステーションを人為的に太平洋上へ落下させる作戦で,ロシア側はこれが日本に落下する確立は1億分の1と発表している。つまり99.999999パーセント大丈夫ということで,この数字は常識的に“絶対安心”と考えて良いはずだ。おそらく読者がこのコラムを読む頃には“そういう騒ぎもあったなぁ”という 程度の話になるだろう。 “それでも,もし失敗したら”とアナウンサーは“もし”を連呼する。その表情はどこかワクワクとした高揚感すら感じられる。ミールの軌道を示したパネルをあげ,西日本上空を通ることを強調する。3回の逆噴射を3回の失敗の可能性として語り,視聴者の危機感を煽る,煽る。煽られた市井の人々は街頭インタビューでカメラに向かって深刻(そう)な顔つきで,恐怖を語っている。 ノストラダムスのヨタ話にしてもそうだったが,絶対安心という暗黙の共通認識の上にあぐらをかき,まるで他人事のように“自らのカタストロフ”をイベント化して語って楽しむ傾向が目につく。この世界に“絶対危機”があるにも関わらず,それが語られることはない。イベント化して楽しめないからか。 ・ ・ 戦後文学の代表者のひとり,武田泰淳の代表作に『ひかりごけ』がある。映画化されたのでご存知の方も多いだろう。遭難,漂着した船員が飢餓の中,衰弱死した仲間を食って生き延びるという,極限状況での倫理を問われる名作だ。実はこれは昭和18年12月に北海道で起こった実話をもとにしている。同様のことがひと昔前にアンデスに墜落した飛行機事故の生存者の間にもあったし,第2次大戦末期の南方戦線でも多数あった。食人。特異な異常者による犯行であるならば,我々は安心できる。しかし前述の事例はいづれも正常な人間の限界状況における行為であることが,何とも言えぬ胸の悪さを覚えさせる。餓死直前では人間は共食いをするのだ。 一時的ならまだしも,これが永久に続くであろう飢餓であった場合,どうなってしまうのか。人類の和は保てなくなり,この世は必ず地獄となるはずだ。 http://www.opr.princeton.edu/popclock/ ぜひこのURLへアクセスしてほしい。刻々と増加していく地球上の全人口の数が,リアルタイムでカウントされている。見る見る内に増加する数字に私は気分が悪くなった。決して減ることがない数がここにある。今,この瞬間は61億4千万をやや超えたあたりだ。昨年(2000年)は60億だった。ちなみに10年前(1991年)は53億だったそうだ。私個人の記憶では,子供の頃“人間は38億人もいるんだよ”と聞いたことがある。また,20世紀初頭には15億人とのことであるから,100年で4倍に増加したわけだ。産業革命以降,爆発的に増加し続ける人口は,今後の人為的な抑制コントロールに成功したとしても,2040〜50年に,とうとう100億人に達すると予想されている。なかなかリアリティを持って100億という数字を認識できる人は少ないだろうが,我々は努めてリアルにこの数字について考える必要がある。 FAO(国連食糧農業機関)によれば,アメリカ人ひとり当たりの年間穀物消費量は約800kgという。また,世界の穀物総生産量は1997年では18億8100万トン。割り算をしてみよう。出てくる数字は23億。そう,アメリカ的食生活をするなら,23億人分の食糧しか,この惑星にはないということだ。さらにFAOの推計では地球上の耕作可能地は,最大で現在の2倍。これはやっと食べていけるという状態で,100億人を養うのが限界らしい(穀物を消費するのは人間だけではない。家畜の消費量も非常に多い)。 100億人しか生きられない環境で,我々はあと40〜50年でその限界に達してしまう。先のURLの,今も増加し続ける数字を見ながら,よく考えてほしい。果たしてイベント化して楽しめるカタストロフ話か否か。あなたを含めた読者の多くが老齢期にこの時代を経験することになるのだ。この世の“絶対危機”と私は思う。ミールやノストラダムスのように扱ってはいけない。すでに我々は『ひかりごけ』の時代にいるのだ。 慶応義塾大学名誉教授で,DNA研究所代表の渡辺格(いたる)分子生物学博士にお話をうかがったことがある。“人類は弱者も強者も共倒れの【尊厳な終焉】か,強者の【恥多き生存】かの二者択一を迫られている”と博士は言う。まさしく,人類という種全体が,小説『ひかりごけ』の世界へ放り込まれた状態だ。この二者択一に,従来の耳触りの良い,素朴な愛を語る人道主義者は,解答不能の無力さを表わす。 暑いからクーラーを設置しようというような感覚で,緑があった方が住みやすいから,空気がきれいな方がいいから,自分たちが長生きできた方がいいからというような視点から発するエゴイスティックなご都合主義的エコロジーは,後者の恥多き生存,つまり共食いを選択する理由となってしまう。このことをエコロジストは認識すべきだ。今日からでも我々は考え,行動し,絶望する前に3つ目の選択肢を発見すべきではないのか? <ギターマガジン誌 2001年5月号掲載の“禁断の華園・第55回”への寄稿文> |