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Bass Labのこと
2005年4月10日。 フランクフルト中央駅から90分のI.C.E.(新幹線のようなもの)の旅の後、私は工業都市カッセルに着く。 1997、あるいは98年頃、新しい楽器メーカーをインターネットでチェックしていた私は、できたばかりの"Bass Lab"のサイトに釘付けになった。 「なんだ、これは!」 独自の高分子合成素材を使用し、ヘッドからボディエンドまで(フィンガーボードすら)一切継ぎ目の無い、完全一体成形の楽器。 一体成形。 シンバルなどの打楽器では見る事ができるが、弦楽器で見るのは初めての事。 ギターにおいてもスルー・ネックが良しとされるのも同様で、接合箇所が少なければ少ない程、優位になる。 サイトに公開された各モデルのスペックは、いずれも非常な軽量であり、平均で2.4?2.6キロ、最軽量のもので1.7キロ(スタインバーガーのGLシリーズでさえ3.0キロ)。 美しい。 この男、Heiko氏。
「7、8年間、この対面の瞬間を考え続けてきた。」という私に、Heiko氏は驚きと若干の緊張の表情と供に、確かその時、こう答えた。 カッセル駅からBassLab社の工房へ向かう車中での会話だ。 そこは予想していたよりも小規模で、予想していた以上に病院の治療室か、科学実験室のようで、一般的な楽器工房とはかなり異なった雰囲気。木材は一切使用しない事から、一般に必需品であるはずの木工器具や大鋸屑も無く、従来の工房とはかなり異なるものだろうとは思っていたが、実際に目の当たりにすると、やはり異様な感慨を覚えた。 彼は、木製楽器に見られる不安定で、かつ特定周波数において大きく吸収減衰されてしまう弦振動を、可能な限り良好に保つ新素材の開発を目指したという。 その素材からひとつの楽器を仕上げる行程もまた、ストイックと言っても過言ではないようなもの。仏師が材を丹念に切削し、像を削り出すのと同じで、大まかな成形物を前述の手術台上で、まったくの手作業で、かなりの時間をかけて仕上げていく。 仏師の言葉に「一刀三礼」というのがある。「より良い音を」とつぶやきながら、素材を磨き上げていく姿勢はそれに似て、私には宗教的にすら見えるのだ。 一般的なエレキギターの製作では、原始的ともいえる素材を使用し、商品としての生産性を上げるために、個別に作られた各部位をロボットすら併用した流れ作業で組み立てていく。(レオ・フェンダー氏がブロードキャスターをボルトオン・ジョイント設計したお陰で、大量生産が可能になった。) 製作途中の数本に興味深く見入る私に、彼は微笑みながら完成した楽器を差し出す。ネックの中さえ完全中空で、ヘッドからボディエンドまで一切継ぎ目の無い新素材楽器。私はアンプに繋がずに弦を弾く。「どうだ」と言わんばかりの彼。私は微笑み返し、その場で私の望む仕様を彼にリクエストしていた。 かつて、ガットギターが鉄弦を用いたマーティンへ、そして電気化されブロードキャスター、ストラトキャスター、レスポール、そしてカーボン樹脂で合理性を追求したスタインバーガー。80年代のスタインバーガーまでは、新技術・新素材が新たな楽器の地平を切り開いていった。
3 名作映画"マグノリア"のプロローグでは、実際に起こった稀なる偶然の興味深いエピソードを、長い時間をかけていくつも紹介し、そしてポール・トーマス・アンダーソン監督は言う。 「But it did hapen.」
私は彼の来日に合わせて、そのような話題の原稿を執筆した訳ではない(突然、思い立っての来日であるのだから当然)。また、彼も私がそのような原稿を執筆したことも知らない。恐ろしい程に多忙な彼が、思いがけず久々のバカンスが取れ、それを日本で過ごしたいと思った背景には、何の必然も無い。強いて言うなら、行った事の無かった国だったから、という程度だろう。 既述の如く、彼の製作は仏師のそれに比すべきまでに、非常に細かな手作業のみでおこなわれる。結果、品質は徹底的に追及されていくのだが、かかる時間は膨大になる。 さて、そこにもう一つの偶然が重なる。 見慣れぬ奇妙で美しい楽器に、多くの人が興味を示し、手に取る。
4 「JINMO、日本のギターは主に何処で造られているのか?」 突然、来日したBass Lab社のHeiko Hoepfinger氏。2年半もの無休状態、忙殺の危機から精神を休ませるための無理矢理のバカンス。特に日本でなければならないような旅行の目的は無い。それ以前に日本文化についても特に興味があるわけでもない。「それまで行った事がないから」という消去法的理由だけで日本を選択した。 「"Mr. Hayashi"!? それは"Nobuaki Hayashi"の事か?」 "奈良"、"歌舞伎"という言葉さえ知らないのに、アトランシアの林信秋氏の事を知っている! 「Heiko! "Mr. Hayashi"は私の親しい友人のひとりだよ!」 林氏は80年代から90年代、世界の2大楽器展覧会である"Frankfurt Musik Meese"と"NAMM Show"に毎回出展し、大きな話題となり、多くの国の専門誌で取り上げられていた。ここ数年は方針転換から出展をしていなかったのだが、それによりヨーロッパのルシア達は「林氏がこのままフェード・アウトしてしまうのではないか」と危惧しているらしい。「もし、そうならこれは世界の大きな損失になる。心配なのだ。」とHeiko氏は言う。アトランシアのサイトには英語ページが無い。しかし、Heiko氏は隅から隅までチェックし、林氏の最近製作したパーツ類のことまで知っていた(もっとも日本語は読めないので、画像のみからその構造を推察)。頻繁にサイト更新をチェックしているそうだ。 「Heiko、それではこれから長野に会いに行こうか?」 突然の私の提案に、彼は絵に描いたように緊張し、まったく顔色まで変え、怯えるように硬直してしまった。長い長い無言の後、噛み締めるような口調でHeiko氏は言う。 Stick Enterprises社のEmmett Chapman氏が、NS Design社のNed Steinberger氏が、信頼を寄せて仕事を依頼するほど優秀なドイツの最尖端ルシアが、小僧のように震えている。「では電話で話してみるか?」と言っても首を振るばかり。 彼の反応に、改めて林氏の仕事の素晴らしさ、いや凄まじさを私は思い知らされた。 その後、明朝は成田から発つという最後の晩餐を拙宅でおこなう時、Heiko氏は言った。
5 (2009年4月加筆) そして、あの時の決意と自身が、今、彼の情熱と融合し見事な高分子の結晶体として産まれた。 "MEW"以来20年間待ったかいがあった。 そして、この"Jinmoid"により、Heiko Hoepfinger氏自身が、今、マエストロとなった。
<ギターマガジン誌 2006年10月号から2007年1月号掲載の"禁断の華園・第120~123回"への寄稿文に、2009年4月加筆> |