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楽器の王様
ようやくアルバム3枚のレコーディングが完了した。ついでにという訳でもないが、プロモーション・ビデオ2曲の制作も終わった。これで心おきなくファイナル・ファンタジーVIIIにのめり込める。 前作は完全にギター独奏のアルバムだったが、新作はギター以外の音もたくさん入っている(中にはパーカッション・ソロ曲もあるよ。)私の専門楽器は一応ギターだが、他の楽器演奏もよくやる。子供の頃はオルガン、エレクトーン、笛、ハーモニカなどで、童謡やアニメ主題歌を演奏していた。小学校ではコーラス部とトランペット部をかけ持ちし、ギターは10歳の時から始めた。それらの楽器は今でも好きで、特に木管楽器は民族系も含め、いろいろとコレクションしている。 それでは、私はなぜギターを専門楽器としたのか。一番好きだからという理由ではない。管楽器やサンプラーなどのマシン系も同じくらい好きだ。ある日決意してギターを選んだというわけでもなく、単純に他の楽器に比べ、それを演奏する行為自体が楽しかったからだ。ふと気がつくとギターを手にしていることが多かった。 さて、1年ほど前の話。とあるテレビでピアノという楽器をさまざまな角度から見つめ、その歴史や構造、社会的な役割などを考える番組があった。その中で妙に引っかかる言葉があった、“ピアノは楽器の王様”である。 S&Bのチェーン店なら“カレーの王様”だ。“餃子の王様”というのもある。しかし“楽器の王様”とは何なんだ。それじゃ他の楽器は“楽器の家来”なのかと思わずテレビにツッコミを入れた。番組側の説明はこうである。 『誰でも簡単に音が出せる。音域が広く、ポリフォニックで表現の幅が広い。社会的に広く愛奏されている。』 本当にそうなのか? 確かにバイオリンやフルートなどは、音をキチンと出すには練習が必要だ。ピアノはラクチンだが、誰が演奏しても音色自体の変化はない。初心者でも音が出せる一方、いくら練習しても音質が向上することはないのだ。つまり音色による演奏家の独自性を打ち出せない訳だ。また表現の幅が広いというが、ポルタメントはおろか、ビブラートすらかけられないという欠点も持つ。ときどき鍵盤を押さえた指を左右に振るわせる奏者がいる。これはそのように設計されたMIDIキーボードならともかく、ピアノでは構造上、絶対に変化しないので無意味なポーズに過ぎない。ピアノで微分音程を表現するのは不可能なのだ。社会的に云々の点については判断が難しいが、世界一の楽器街、お茶の水を歩いてみれば、およそのことは判る。○○楽器と言いつつも実際は○○エレキ・ギター店という感じの店がほとんどだ。第一、よほどの例外を除いて、コンサートで自分のピアノを演奏できるピアニストはいない。無理して良い音のするピアノを買っても、人に聴かせることができないのだ。それどころか、練習しているとウルサイと隣人に殺された事件も過去にあった。ピアノには防音室まで必要だということだ(誤解のないように。私はピアノが嫌いなのではない。) ある時、知人の音楽家は“トロンボーンが王様”と言った。音程が自由に出せて、肉声に近いからだそうだ。だが、音程は自由かもしれないが、和音は表現できないし、音域はピアノの半分以下。肉声云々は主観によるものだし、仮に最も肉声に近かったとしても、それが何故、王様の条件になるのか、私には理解ができない。 ギターの場合は...、と考えてみた。愛される楽器と言う面で言えば、生産数から見てもダントツに違いない。弾き語りもできる(トロンボーンの弾き語りは不可能)。しかし、音域に関してはトロンボーンよりやや広い程度。音色は一見、エフェクターで自由自在のようだが、これは、エレクトリック・バイオリンでも、エレクトリック・トランペットでも、電気化されたアウトプウトを有する楽器であるなら、すべてが共有し得る変化であってギターに個有のものではない。 音色で考えれば、当然サンプラーにかなうものはない。この世に存在する音はすべてデータ化すれば鳴らせる。音域も同時発音数も、元ネタになった楽器で不可能だった域まで容易に達する。それではサンプラーが王様なのか。いやいやデータさえあれば誰でもまったく同じ音が出せるので、独自性は元ネタの楽器より出しにくくなる。加えて、サンプラー自体の他にMIDI制御の為の何らかのコントローラーや、音を出すための他の機器が必要で、気が向いた時にヒョイとポケットから取り出すハーモニカのようには自由に演奏はできない。ではハーモニカが王様なのか...。 賢明な読者はもう御解りだろう。楽器の王様なんていない。各楽器に不自由はある。しかし、ギターでも難しいフレーズが弾けるようになった時に喜びがあり、そのための苦しい練習も楽しみになり得る。すべての楽器はそれを愛奏する者に楽しみを与え得る。故に楽器だ。それぞれの人にとって、自分の楽器が一番なのだ。楽器に優劣などつけるな! <ギターマガジン誌 1999年6月号掲載の“禁断の華園・第32回”への寄稿文> |