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鮮血の大輪
マイケル・ドルフの店“ニッティング・ファクトリー”は87年の創業以来、毎年夏に大きなフェスティバルをやっている。最初は小さな店内だけの規模だったが、徐々に拡大し最近ではマンハッタン中を会場にして、出演者数だけでも千人に届く程の巨大なイベントになっている。観客数がどのくらいになるのか、想像するだに巨大。これを楽しみに毎年、海外からやってくる常連客も多数いる。ところが、昨年は例のテロ事件のために中止になってしまった。ツイン・タワーの破片はマイケルの店にまで届き、事件後しばらくは立ち入り禁止区域になってしまった。『今年(2002年)は9月にやるよ』とメールがあったのは、この春の事。一周忌。久々に鎮魂歌“モガリ”を演奏しようか、と考えていた。そして先日(6月20日)、悲しいメールが再び届いた。 『We'd love to have you back , but we don't have a summer festival this year.(また演って欲しいんだけど、今年も中止になっちゃったよ。)』 詳しい理由は書かれていなかったが、次はブルックリン大橋だ、独立記念日(7月4日)にあるぞ、いや1周年を狙ってる、云々、といった噂でもちきりの昨今、巨大イベントの実施が危険なのは眼に見えている。2年連続の中止。まことに残念だ。 マイケルもそうだが、ライブハウスのオーナーはフェスティバルをやりたがる。“ライブハウス経営を職業にしよう”などとというメンタリティーからすれば、当然の事かもしれない。“金を儲けるんだ”と思ってライブハウスをやる者などいない。“たくさんの人に楽しい音楽を聴いて欲しい”という無邪気な思いが原動力なのだ。私はこの1年、150回くらい演奏をして廻ったが、どこに行っても“最近は経営が苦しいですよ”との声を聞いた。なかには昼間、別のところへアルバイトに出て、そのバイト代で店をどうにかやりくりしているといったオーナーも珍しくないのだ。この鮮血が滲むような純情。“たくさんの人に…”という願いが、フェスティバルという大輪の花を咲かせる。花弁が赤い事に気付く者は少ない。 埼玉県上福岡市に、97年以来、毎年8月に“音のまつり”というフェスティバルがある。環境クリーンセンターというところを会場にしての、大きな野外イベントだ。毎年10数バンドが出演する。過去には、西岡恭蔵氏、大塚まさじ氏、森園勝敏氏、金子マリ氏、ウシャコドモアナー(ウシャコダ+子供ばんど+アナーキー)などなどが出演。入場料は2500円。高校生は1500円。中学生以下は無料。65歳以上も無料。障害者及び介助者も無料。この料金設定から、主催者が“ひとりでも多くの地域住民に楽しんでもらいたい”と考えている事が解るだろう。会場には家族連れ、高齢者、障害者施設からの招待客も多く、地元ボランティアによる焼そば、アメリカンドック、焼き鳥などの屋台が賑わう。地域に密着して、のんびりと、のほほんとした雰囲気のイベントで、私も毎年、参加させていただくのを楽しみにしている。この和やかな大輪の花を、誰よりも嬉しそうに眺める主催者、井上氏の笑顔を見るのが何より楽しみだ。 5月の末、井上氏の店、“曼陀羅”で演奏した。もう20年以上続く、古くて小さなライブハウスだ。思えばこの日、会った時から彼の様子はいつもと違っていた。リハが終わって一息ついていたら、神妙な面持ちで彼が切り出す。 『また演って欲しいんだけど、今年は中止になっちゃったよ。』 いつもにこやかな井上氏が、今にも泣きそうになっている。終演後、私は井上氏の御自宅へ伺った。朝まで語り明かした。中止の理由は経済的な事だという。フェスティバルには金が掛かる。舞台・照明・音響など設備費、出演料、広告費などの総計はかなりの額になり、低額な入場料だけでとても間に合うものではない。後援・協賛・協力にいろんな自治体や企業が名を列ねているので、私はてっきりそれらが経済支援をしてくれているものだと思っていたが、実はそうではなかった。すべて彼個人の肩に背負わされていた。ここ数年の累積赤字は、もはや個人が負担できる限度を超えているという。その鮮血の重さに、もはや花弁は落ちようとしている。私はほとんど叫んでいた。 「嫌になったから、能動的に止めるのは良い。やりたくなったら、再開できる。しかし、やりたいのに諦めて中止すると、2度と開催できなくなるぞ。上福岡から祭りがひとつ消滅するぞ。諦めるな。設備費が負担なら、店でやれば良いではないか。金土日と1日に3,4バンド出れば、全部で10数バンド。規模は同じだ。ギャラが問題なら、事情を話して、格安、激安にしてもらえば良い。私はプロだから無料では演らんが、あなたの笑顔が見れるなら980円で手を打とう。きっと私同様に、理解して激安980円で出てくれるミュージシャンはいるはずだ。ダメモトで出演依頼の手紙を出しまくれ!」 事実上のボランティア出演となる。さすがに彼は躊躇した。「これでも出てくれるミュージシャンは一生の友だ。必ず何人かいる。中止の報せを送るのは、彼等を裏切る事だ」という私のゴリ押しに、彼は静かにうなずき「しばらく考えさせてくれ」と言った。 そして今日、私の郵便受けにも“世にも稀なる980円出演依頼”が届いた。どうやら鮮血の大輪は、今年も上福岡に咲きそうだ。 <ギターマガジン誌 2002年8月号掲載の“禁断の華園・第70回”への寄稿文> |