「あれは私の弱さだったのです。」
終演後、岩手の華道家・金野幸子嬢は懺悔するように告白した。
否、そうではない。
あれは、"貴女の恥じらい"であったのだ。
愛すべき"恥じらい"であったのだ。
2009年11月21日、岩手県一関市の角蔵ホール。
会場に着いてそのステージに対峙し、私は大きな喜びを感じていた。
ステージ左右の壁面から、まるで溢れ出たかのような大量の"藁"の山。
華道家・金野幸子嬢が、この日のために創りあげてくれたのだという。
私は事前に何も知らされていなかったが、実は2ヶ月ほど前から計画されていたらしい。
「2ヶ月後のJINMOさんのステージ、私に華を活けさせてください。」
そう言った後、彼女はたいそう苦しんだらしい。
何を、どう活けるべきか。
凡そ芸術はエロスとタナトスとの、抱擁と反発の連続持続的なエネルギー移動の大きさに、その輝きを増す。
通常、舞台芸術においては、黒を基調にシンプルにまとめられたステージは、"タナトス"の場である。
それは絵画においては額縁に同様だ。
タナトスの力が強ければ強いほど、そこに立つ演奏家の"エロス"は輝きを増し、華として活きる。
更にそれをより活かす為に、タナトスから浮上させる照明が能動する。
そして、藁。
この華道家は、私のエロスの為に、生きてはいない、しかも華ではないものを、生け華してみせた!
強烈なエロスを発動させるに、強烈なるタナトス。
死臭なるその藁の美しい芳香。
嗚呼、華道家よ、知ってか、知らずにか?
貴女の用意してみせた"場"は、まるでゴルゴダではあるまいか。
見よ、これほどまでに、血の滴るようなエロスを熱望している!
この生きてはいない、しかも花ではないものは、演奏の間、見事に血をすって、散華の儀式を実らせるだろう。
私の初動感想を待つ華奢な女性華道家。
「後は私が、鳥を鳴かせましょう。」
私はそう告げ、ステージに立った。
鳥鳴花笑のExprovisation。
終演直後、彼女は切り落とした樹木の枝の緑を、その藁の山に僅かに混在させた事について、こう言った。
「実際にステージに立たれた姿を見て、音を聴いて、私はそこに、あの緑を混ぜてしまった事を、とても後悔しました。申し訳ありません。あれは私の弱さだったのです。」
強烈なタナトスを表現すること、それは同時に強烈なエロスを求めていると表明してしまうこと。
なるほど、あの緑が無ければ、完璧なる死の世界が創出できただろう。
しかし、あの僅かの緑は、私には言わば、襟足から覘く白いうなじ、足袋と裾の間から覘く白い足首。
乙女であるからこそ、自然に流れでてきた色気の蜜。
決して、完璧さの中の不完全な一点ではなく、むしろ図って得ることの叶わぬ女性生理の微美である。
一点の輝く潤みである。
だから、華道家よ、乙女よ。
あれは、"貴女の恥じらい"であったのだ。
愛すべき"恥じらい"であったのだ。
悔いるよりも、むしろ誇れ。
終演の後、深夜。
私は彼女から依頼された爆墨を一気に、二枚仕上げた。
「生」、そして「死」。
貴女は花を活かし、そして逝かす者。